毎日ブログを書く人がいて、それを読む人がいる。

名もなき人のブログを読んでいる

しがない日記である。

毎日ブログを書いている人がいて、私はそのブログを日々読んでいる。毎日必ず更新されるので、私は毎日欠かさず読んでいるわけではなく、1週間に一度か二度分けてそのブログを読んでいる。

その人の書くブログはネットで検索して1ページ目に出てくるような誰かのためのブログではない。その人だけのブログである。そして、私のブログでもあると思っている。失礼な話だが、おそらく私以外に見ている人はいないだろうと思いながら読んでいる。実際はたぶん誰かは見ていると思うのだが、これまたおそらく限られた人が何人か、何十人か見ているだけだろう。

Web上で記録(log)を残すという意味でblogという表現すると聞いたことがあるが、現在のブログはいかに広告収入を稼ぐのかというのような商業的な記事を発信する媒体へと変わっていったと思う。

ブログで日記を書く人の記事なんか検索して1番に出てくることは少ない。どんな文章でも誰かの為になっていなければそのイスを確保できないのだと思う。

個人が書く文章がアルゴリズムに評価されどの文章がより人にとって役立つのかと評価が下される。または、たくさんの文章からどの文章が広告掲載価値の高い文章なのか優劣をつけられているともいえる。

ブログをやっていて広告を貼りだすようになると、いわゆる誰のためにもならないような”日記”は書かなくなり、人の興味を惹く話題に関するものを記事にしようとする。芸能人や有名人であれば別だろうが、一般人が書いているブログはおおよそ必ずそういう傾向にあると考えている。

よりよい記事、より広告費が得られる記事を書こうと考えるのだが、そういう記事は案外難しい。下調べをして時間を書けて記事を書いてもさほどアクセスが望めないことも多い。

ただ自分の日記を書いていたブログが誰かのためのブログになって自分の書きたいものを歪めて記事を書くのだが、求めていた以上の見返りが得られず最終的にはブログの更新が徐々に減っていくのだ。

何が言いたいの?

私は名もなき人のブログを楽しみにしながら読んでいる。毎日更新するその名もなき人の書く文章は地味におもしろい。

私もブログを書いている人間だが、毎日更新するというのはめちゃくちゃ難しい。決して簡単ではないと思っている。

毎日更新するモチベーションになるかもしれないと思って、広告を貼りだすと次は今まで気にしてなかったアクセス数ばかり気になってしまう。そうして、より広告収入が得られる記事を書こうとして四苦八苦するが、それでもなおアクセス数はさほど得られない。最後は広告収入がさほど得られないからといって、ブログを書く時間がばかばかしく思えて、最終的にはブログを更新するのはやめるでのである。

私はその名もなき人にこんな状態になってほしくない。広告収益など目もくれず機械に評価されることはない個性のある”日記”を書き続けてほしいと願っている。

そして、私もそんな人のようにどうしようもない日記をブログに更新できる人になりたい。しかしながら、先日このサイトにも広告を貼る事にしてみた。

なぜか?

なぜそのようにしたのかといえば、今までと違う記事を書きたかったからなのか、誰かの為になる記事へのあこがれなのか、単に収益がほしかったからなのかそのあたりは自分でもよくわかっていない。

しかしながら、最近ブログ更新への機運が高まっている。なかなか更新しなかったのだが、日々何を考えていたのか、何について調べていたのか残しておきたいという気持ちがある。

なぜそのような気持ちに変わっていったのかわからないのだが、毎日何か記事を書いてみたいと思っているのだ。

どうせ毎日記事を書くなら…という気持ちがそうさせるのか自分でもわからないのだが、今はそういう考えを持っている。だから、そういうことだ。

まとめ

今日は誰のためでもない自分のための日記を書いた。ただそれだけだ。

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